2023/01/21

NAPs Human

”世界を身近に”世界中の先生から学ぶインタビュー①台湾出身 シさん

イベントのサムネイル

インターネットが発達し、コミュニケーションの場は広がり、例えばゲームでも海外の方と一緒にプレイする機会も。いつの間にか世界は広がり、思っているより、いつの間にか身近なものに。
子どもたちはすんなり受け入れている一方で、付いていけていますか。インバウンドにより海外の人たちと接する機会も増加。そんな時代の中、世界の人たちと一緒に働き、活躍する、そんなことが当たり前なのに、日本ではまだ難しい!と考えている方も多いのではないでしょうか。

005

日本から世界で働く前に、日本に来ていただき、実際に世界で働く!世界で暮らす!ことを経験をしている方のお話をうかがい、「世界の現状を知る」ことで、これからの日本の在り方や、こらから海外でも活躍しようとされている方々のヒント、日本にいても海外の方と一緒に働いたり関わるときに気を付ける点が見えてくるかもしれません。

今回は、実際に台湾から来日し、日本を拠点に活動しているシ先生に、海外で働き、生活をするということについてお話をうかがいました。

シ先生は、2022年8月の ワークショップ「台湾出身トリリンガールシさんと学ぶ魯肉飯作り&中国語会話 中国語を学ぼう」で先生もしていただくなど、とてもチアフルな台湾出身の方です。台湾の大学にて日本語学科を卒業、日本語能力試験N1・TOEIC750点の語学力に優れ、コミュニケーション力抜群です。

イベントの様子:8/27 台湾ルーロー飯&中国語EventReview

日本で世界との懸け橋となり活躍する!シさんの履歴書

シさんだけ

日本での簡単な職歴を教えて頂けますか?

日本で最初についた仕事はホテルでの接客業務です。様々な外国の方含めお客様への対応を行っていました。その後、ホテルで学んだコミュニケーション能力に加えて、更に事務処理能力を高めるため、IT業界でロボティクスやAIに関わるマニュアル作成のお仕事や世界展開する日本企業通訳・システム導入のPJなどに参画し、働いています。

そもそも日本で働くことになったきっかけは?

大学を卒業したら日本で働いてみたかったので、まずは、日本の企業で働くことを目標にして就職活動を始めました。友達が先に就職を決めていた日系企業に自分も応募をしたり・・・結果、台湾の大学の就職フェアに参加していたホテル業も営む日系企業で働くことになりました。

海外で働くことに抵抗感はなかったのですか?

海外で働くことに抵抗感はありませんでした。

海外に目が向いたのは、幼少期の環境にあると思います。
幼少期は、グローバルで活躍できる人になるために質の高い教育を受けさせたいという母の強い願いと思いから、幼稚園(3年制)から小学校進学に向けた準備のための教育や質の高い英語教育、いい先生のいる小学校で教育を受けさせてもらえる環境にありました。その頃は、教育の大切さを理解していなくて、厳しいお母さんだなぁと思っていましたが(笑)
私が小学1年生の時、「小学校の先生がどんな先生か?」を母が調べて小学校2年生でより良い環境を求めて転校したこともありました。台湾においては、いい先生や質の高い教育を受けるために転居したり、学区域を超えたところに住民票を登録するなどということは、わりと教育に熱心な家庭では普通に行われていることでした。

特に海外、世界や日本に興味を持ったのは?

幼少期に日本の漫画や本を読んだり、日系企業の化粧品販売をしていた時に日本の本社で就職しないか?と誘われるほど日本語が上手な母から日本語を学んだり、友人の祖母が日本人だったので日本語を習ったりしていました。さらに、おじいちゃんは大陸出身で、親戚もハワイやカナダに住んでいたので、親戚を訪ね海外で勉強したり遊びに行ったりして・・・中学生の頃は、外交官になるのが夢でした。
そのような環境から自然と将来は海外で活躍したいなと思っていました。

世界の中で、日本を選ぶ!きっかけは「京都」「奈良」への旅行

高校時代は、専門課程のある学校の商業科に進学しました。商業科では、商業関係の基本的なことが学べ、PC操作とか会計的な基礎知識はその当時に身につけました。

高校2年生の時に、商業の勉強かねがね、お母さんと旅行で「京都」「奈良」に来たのですが、この旅行が人生のターニングポイントとなりました。
小さな頃から歴史や古い文化が好きな私にとって、「京都」「奈良」はとても魅力的な街でした。

私の歴史や古い文化好きは、故郷に影響されているかもしれません。
私の故郷「台南市」は台湾第四の都市で、台湾でもっとも早期に開発された町いわゆる古都にあたります。台湾の西南部に位置し、四季を通じて温暖な気候。あちらこちらに文化的なものがたくさんあり、小さな頃から慣れ親しんできました。

そのような環境のもと、日本の浮世絵や美術、寺社仏閣といった歴史や文化にも興味を抱いていた私は、「京都」「奈良」に旅行にきて、その土地や文化の歴史をより深く学びたいという思いが芽生えました。そして、日本語や他の言語を学べば、ローカルな場所でも自分1人で自由に行って、現地の人とコミュニケーションがとれ、色々な経験ができるのではないかという思いにいたりました。この歴史ある文化的な町が、もともと歴史好きだった私の心に大きな変化を起こし、進路変更を決意させました。

商業から言語学へ進路変更。人の2倍集中して勉強!

台湾ではだいたい2年生の2学期までに高校で学ぶ基礎を終え、大学進学の準備をします。台湾の教育制度※では、大学の種類がいくつかありますが、高校で学んだ専門に見合った大学に行くのが通例です。
私も、高校では商業を専門に学んでいたので、商業の専門大学への準備を3年生まで進める予定でした。しかし、修学旅行後先生に相談して、本来受けなければならない授業は横におき、授業中は、コミュニケーションの基礎となる「言語学」を学ぶための大学への受験勉強に切り替えさせてもらい、人の2倍集中して独学で勉強しました。
とても辛かったけれど、そのかいあって、大学では日本語を学ぶことができ、中国語、英語、日本語が話せるトリリンガルとして現在にいたっています。

【Appendix】台湾の教育制度について

教育制度

台湾の現在の教育制度では、学生は初等教育6年、中学校3年、高等学校3年、高等教育4年、修士課程1年から4年を含む20年まで学ぶことができます。学位、博士号の場合は 2 ~ 7 年です。後期中等教育は3年間の学校教育で構成され、「総合高等学校」、「技能別高等学校」、「総合高等学校」、「専修高等学校」があります。

出典:「211 制度・台湾」,(国立教育政策研究所)
https://www.nier.go.jp/seika_kaihatsu_2/risu-2-211_taiwan.pdf(2022/12/22)

海外で働くとは?日本で働いて良かったこと・苦労したこと

おちゃらけ

最初に仕事をした日本のホテル業では…

正直、いろいろ大変な思いをしました。
採用は、本社採用だったので東京で働くかと思いきや、北海道の札幌のホテルに配属されました。台湾では、雪などほぼ見たこともなかったので「きれ〜い」なんて喜んでいたのは初日くらい(笑)ホテルは、24時間対応のシフトを組んでいるので、早朝勤務にいたっては、まだ誰も起きていないような真っ暗な中、除雪もされていない道を雪をかきわけ出勤するはめに。寮はホテルの隣なのですが、遭難するかと思うくらい、まるで開拓者のようでした(笑)あかぎれもひどく「今はいったい何時代だ~」といった感じでしたね。

文化や背景が違う相手とのコミュニケーションや考え方の違いに苦労

身体的な苦労もありましたが、仕事でのコミュニケーションの取り方や考え方の違いにも苦労しました。例えば、本社採用と現地採用による仕事への取り組み方のギャップや日本人に限らず文化や背景が違う相手を理解し、よりよいコミュニケーションをとらなければならなかったことなどです。また、職場によって文化が違うのでその違いに慣れることにも苦労しました。

日本特有の空気を読み合い、物事を”にごす”雰囲気に違和感

日本で働いていて違和感を覚えたことは、ビジネスの場面ではよく『報連相』が大切だというのに言っている本人達があまりできていなかったことです。それは日本特有の空気を読み合い、何となく物事をはっきりさせず、にごして「言わなくてもわかるでしょ」という雰囲気。ルールがしっかりしていないので「いい」「悪い」が分かりづらく、もやもやすることもしばしば。また、プライベートと仕事が今一つ分けられておらず、仕事が終わった後も結構プライベートも付き合う必要があったりして・・・。      その辺は違和感を覚えました。

それでも良かった!言語や国の壁を越えて、幅の広い仕事を選択できることが幸せ

いろいろ苦労をしたり違和感を覚えたりもしましたが、その経験は間違いなく自分の糧となっています。
現在は、海外の様々な国々に支社がある日本の企業で通訳や翻訳などの仕事をしているのですが、現地の方とコミュニケーションをとる時には、まさにホテル業界でのフロント業務の経験が活かされていると感じています。語学力に限らず、言語や国の壁を越えて、色々な国々の方とつながりながら仲間として、ビジネスパートナーとして仕事ができることはとても楽しいです。
また、台湾だと学生時代に自分が専攻してきた分野が仕事に直結し、職業の選択の幅が意外と狭くなりがちです。今、日本ではキャリアを掛け合わせた幅の広い仕事を選択できるチャンスをつかむことができているので、それも、とても良かったなと思います。

海外で働きたい方や、子どもたちに伝えたいことはありますか?

先生

まずシ先生の将来の夢!日本を拠点に色々な国で働くのが夢

もともとは日本で3~5年ほど勤めた後は、色々な国を移動しながら、働こうと思っていました。

しかし、最近では日本を拠点にして、色々な国で短いスパンで働きに行って戻ってくるでも良いかなと思ったりしています。インドネシアやベトナムなど、とても興味があります。東南アジアのローカル文化を学びながら仕事をするのも魅力的です。いずれにせよ、英語が通じる国ならどこにでも行って仕事がしてみたいです(笑)

台湾には、歳をとったら戻ろうかと・・・台湾の文化的背景や社会的な構造を考えた時、またビジネスマナーも台湾は台湾で文化があるため、また一から、台湾で仕事をしていくのはなかなか大変かなと思っているところもあります。

海外の人の日常生活を実際に体験してみて!

やはり、海外の歴史や文化を本で学ぶだけではなく、実際に自分で見て体験して視野を広げられるといいかなと思います。本にも書いていないことや、実際に伝わりにくいマナーなどもあります。可能なら沢山の国へ、1週間でも1日でもいいので、海外の人との日常生活を実際に体験してみることがとても大切だと思います。もちろん言葉の勉強も必要ですが、まずは、ぜひ、現地や実際にその国出身の人に会ってへ五感をつかって、いろいろな体験や交流をしてみてください!海外とのつながりやきっかけを得ることができますよ。

海外へのきっかけ。国際交流や様々な出会いの場に

006

今回は台湾出身のトリリンガル、シ先生のインタビューを通して、世界で働くについて学んでみました。違いにももちろん驚かされることが多いのですが、仕事の話や人生のお話を聞いていくと、今まで気付かなかった共通点やアレ?自分が思い込んでいただけでそんなに違いは無いのかな?とか様々な気づきが得られます。また海外出身の先生たちだからこそ感じる、日本文化への愛着ポイントや、興味を持つ良いところについて、再認識したりも出来たりします。
テイクアナップのイベントにおいては、セレンディピティと身近さをテーマに運営を行っています。国際交流や海外の方、様々な職業の方々、文化の違いを理解しながらも、出会って目の前にしてみてしまうと、自分の人生ややってきたこととの共通点を見つけ出したり、実は大したことないかも!とか自分にもできるかもとか、チャレンジのきっかけになるかも。
本当に優しくて、賢くて、愛くるしい、世界で活躍する先生達。とっても気さくでお姉さんみたいな先生達との出会いが、参加する方達のセレンディピティを高めてくれるきっかけになると思います。

今回のシ先生の様に、イベントだけでは伝えきれなかった先生達や国際交流、またご出身の国々の良さを、今後もお伝えしていきます。

EVENT
&TOPIX